北見市に隣接する農業と酪農の町、訓子府。
 2006年4月まで、その中心部には北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の駅、訓子府駅が存在した。
Information
路線: 北海道道495号上常呂停車場線
起点:北見市上ところ(上常呂駅跡前)
終点:北見市上ところ(r50交点)
延長:151m(総延長)
沿線:上常呂駅跡(北見市役所上常呂出張所/コミュニティセンター) 他
走行:全線(両方向) 2019年2月11日撮影
Report 1/1

 左折:r986 金刀比羅山
 直進:r50 置戸 訓子府
 右折:r495 上ところコミュニティプラザ

 r50北見置戸線は2006年に廃線となった北海道ちほく高原鉄道 ふるさと銀河線に沿っている。残っている駅跡を巡るにあたって主軸となる道路だろう。

 左折のr986置戸訓子府北見線は、r50に対して常呂川の対岸を走って置戸に至る道道であるが、訓子府市街を通らない点以外は時間短縮要素が少なく、通過需要に対応するのはもっぱらr50といったところである。

 代替バスの上常呂停留所が交差点手前にある。雪に埋もれてるけどこんなんで大丈夫?

道道495号終点

 上常呂地区の中心交差点ともいえるこの交差点は、付近に商店もありそこそこ元気。

 なお駅名は上常呂であるが住所表記はひらがなの上ところである。開拓期に常呂川に沿った原野のうち上流側を示す区分として用いられ、それがそのまま定着したものである。ひらがな表記が字名に採用されている理由は「呂」の字が当用漢字でないためらしい。

参考:市史編さんニュースNo.163
   (北見市)

道道495号終点

 交差点の南側に回り込み、r495側を一望してみる。突きあたりに見える木(の立っているロータリー)が駅前にあたる。

 道道はデザイン街灯が並ぶ街路。雪山があってもなお2車線幅が確保されているゆとり設計だ。

 r495の街路灯には管理主体を示す写真のようなプレートが設置されている。「網走土木現業所」は現在は建設管理部に置き換えられた部署でありこれもr335訓子府停車場線のものと同時期の設置か。

道道495号起点

 ひっそりとした市街地を更に進む。裏向きの案内標識は銀色に光り、冬の青空との対比が美しい。

 上常呂地区の農協支店が道道沿いにある。

 広域農協のJAきたみらいは北見市とその周辺の単協8農協が合併して発足した(北見市内の旧常呂町域のみJA常呂という別のJA管内)。畑作が主体のこの地域において玉ねぎの生産が全国一である。

道道495号起点

 正面右に見える建物が旧駅舎(コミュニティプラザと合築)である。例によってコミュニティプラザ手前側を市道が横切っている。

道道495号起点

 道道境界は見た目上ロータリーに若干食い込んでいた。

 今回もオンマウスで解説表示する(要javascript)。市道とコミュニティプラザ(画像ではコミセンと誤表記)との敷地境界が青色→緑色の直線で示されており、道道の区域は緑色の線より手前側となる。総延長151mをr50交差点の中心から取ると1つ上の画像に写る「市道とr495の丁字路の中心」ではなく「丁字路のコミュニティプラザ側の縁」まで到達するのと、ストリートビューで495と書かれたペイントがその位置に見つかったのでこれで境界は確定できるだろう。

旧上常呂駅

 駅跡敷地に足を踏み入れる。駅舎というよりコミュニティプラザがメインの建物だったようだが現在は完全に北見市の窓口も入った出先機関として使われている。

 現在のコミュニティプラザ併設駅舎に改築されたのは1994年のことである。当時は町おこし策としてふるさと銀河線の主要駅が次々に建て替えられており、その走りが1990年供用開始した小利別で、一番遅かったのが農業交流センターと合築された訓子府であった。

 駅舎脇の階段を上がり、1つ上の写真奥側、ホームと同じ高さに登ると上常呂駅と明記された出入口があったが、除雪すらされておらず近づける気配を感じなかった。

 ホームだった場所にはふるさと銀河線友の会なるモニュメントが置かれている。星型のプレートがたくさん貼られている。

「ふるさと銀河線が永遠に走り続けるよう私達も応援します。」という一言。三セク化から17年でその歴史に幕を下ろしたことを踏まえると物悲しさがある。

 コミュニティプラザ裏は1番のりばの跡。線路側を眺める。公園化された敷地は線路などとうに撤去されている。遊歩道の一部が除雪された以外は完全に雪に埋まっていた。

 上常呂駅は相対式ホーム2面2線の駅であったが、公園整備に伴い線路側の土地はホームと同じ高さまでかさ増しされ、反対側左方にあったはずの2番乗り場は完全にその姿を消している。

 ホーム跡地から池田方を眺める。

 かつてのホーム跡は意外と幅広かったようで、写真右側の除雪されて人の幅ぐらいの通路ができている部分がおおよそ線路敷に一致する。

 鉄道跡地にあった公園は上ところ銀河公園という。駅名標が公園名の銘板に取り替えられているとは。

 株式会社としての北海道ちほく高原鉄道は廃線から2年後の2008年に清算し消滅した。この際、残されていた経営安定化基金のうち約14億円は跡地利用対策費として沿線自治体に交付されたようで、上常呂に限らず駅跡が高度に開発・公園化されているのはこうした交付金の存在が関わっているのかもしれない。

 公園内にはなんちゃって線路跡かのように除雪されて人道が確保されていた。こうしてみると駅跡って広いですよね。列車が行き交ってたんですよね。

 撮影当時は祝日とあってコミュニティプラザは閉館していた(待合室としての機能が無いのが響いている・・・)が、プラザ内を覗くと吹き抜けの高い天井の中に上常呂駅と書かれた動かない時計。なんなんだここは廃線前の空気がそのまま残ってるんじゃないのか?

道道495号起点

 r495を今度は起点側から一望する。奥に見える案内標識の先が終点だ。

道道495号終点

 左折:r50 北見市街
 直進:r986 金刀比羅山
 右折:r50 訓子府

 r50/r986交点。r495唯一の道道標識もここに設置されている。

 直進の金刀比羅山はr495から南側に離れた場所にある小山で、金刀比羅神社が立地する。この山はエゾヤマザクラが多く植わっており時期になると桜の名所として多くの市民が訪れる。

最終更新:2019年2月19日