釧路管内の西側に位置する白糠町。
 「現役の廃道」たる道の向こうには自然に還る廃駅、トレースを試みれば荒れたダート路の先は万年通行止。
 上茶路上茶路停車場線、この道道に足を踏み入れる事自体がもはや冒険である。
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 北海道道665号上茶路上茶路停車場線 第1部 [終点側前編]
 r665はR392との重複区間で分断されており、駅跡へ向かう区間と国道から起点側の山林へ向かう区間の2つがある。
 第1部ではR392交点から上茶路駅跡にかけての短い区間を紹介する。

 北海道道665号上茶路上茶路停車場線 第2部 [起点側後編]
 上茶路駅跡を離れ、駅跡から少し北に向かった地点で上茶路の山中へ向けてダート路が延びる。

Report 2/2

 国道392号交点

 r665は前方保静橋の手前で左へ入る。

 左へ入ると今度はピッカピカの縦型道道標識が出迎える。

 「なんだこれは・・・!r665自体は本当はすれ違いできるレベルのハイスペック砂利道だったのか?」という疑念がふっと頭をよぎる。

 お・・・、

 狭くなった。

 何故か矢印はあるけど、未舗装道道らしい姿になったじゃないか。「最低でもこれぐらいじゃないと。」と思う自分は砂利道慣れしすぎ?

 木々に隠れているが、「この先ゲートあり」の文字。

 ゲートの存在は知っているし、すぐには通行止にならないことも事前情報で把握済みであった。気にせず車を進めよう。

 道路は部分的に天然林の中へと入っていく。

 最初の橋が現れる。ここで茶路川を渡る。r665と茶路川の交点はここだけで、あとは支流のシュウトナイ川と並走する形となる。

 茶路川を渡る橋は舗装きれいでセンターラインはないものの普通車ならすれ違いできそうなレベル。

 茶路川は白糠町内を流れる二級河川で、河川沿いには手付かずの自然が残っている。ししゃもの遡上する数少ない河川の1つであるという。

 橋を渡りきるとゲートと転回スペースが設置されている。

 「この先6km 連続降雨量80ミリ又は瞬間降雨量20ミリで 通行止となります。」

 ゲートが開いているのでここから6kmは先に進めそうだ。なお瞬間降雨量20ミリとは2時間で20ミリなので実はそれほどの豪雨でもない。r664は道東でまとまった雨が降るとすぐ通行止になる道道の代表格である。

 ここから先は夏季限定ゾーンとなる。林道をちょっと広くしたぐらいの道。

 前半戦のうちは天然林に紛れているがたまに待避所も標識付きで設置されている。

 管理はそれなりで草ボーボーではあるが、整地され足場が安定しているだけで十分安全なのでそれでいいのだ。

 第3号橋。こういう盲腸道道の先端部はたいてい機械的に番号が振られただけの橋が目立つ。

 ちょっと奥に第4号橋。

 一旦開けた場所が見えたりすると、ここは牧草地跡だったんじゃないかと思ったりもする。このあたりはまだ人の手が介入された痕跡と気配がある。

 第5号橋。路肩のフキが勢い良すぎて道幅が狭い・・・!

 橋自体はこんな感じ。ボロいコンクリート製のものだった。

 再び開けた場所に出る。道路右側にはフキにまぎれてキロポストが設置されているのがおわかりだろう。

 夏の日差しを浴びながら更に奥へ進んでいく。

 第6号橋。って橋はどこ?

 同地点を反対側から見ると塔のように残された自然岩とその手前側にバッチリ擁壁が整備されているのがわかるが、橋に相当する部分は岩陰でどうみても下に水の流れはない。Googlemapでみてもそのような水跡は見つからず、橋の正体は結局謎のままだった。

 なおこの写真向かって右側にかつて砂利道が伸びており1軒の民家があったことが航空写真からわかっている。r665は現在においてはほぼ完全な無人道道だが、少なくとも1970年代ごろまでは沿線に民家があった。

 牧草地の跡か現役牧草地なのかもわからないが原っぱの脇を通る。

 周辺の土地は平坦に整備されておりこのあたりはかつて農地だったのだろう・・・、ってカーブの先に何かあるぞ!

 これは、、、廃屋だ!!!

 隣接して植えられている木にだいぶ「侵食」されているが、2階建ての立派な木造住宅がそのまま骸となっていた。

 遠方から廃屋を眺める。深い緑の中にひっそりとたたずむかつての民家。トタン屋根の色もだいぶ剥げ落ちており、放置されてかなりの時間が経っていることが推測される。

 白糠は豪雪地域というわけではないが毎年きちんと降雪はあるし風向き次第で大雪に見舞われる地域でもある。宗谷本線沿線のような地帯ではこうした廃屋はすぐに倒壊するが、この家も部分的には屋根が潰れているので遠からず倒れてしまうだろう。

 かつての民家の主が持っていた場所だろうか、廃屋の奥にももう少し開けた「牧草地」が見える。

 第7号橋。ここからは廃建造物も見られなくなる。

 路面も若干荒れる。

 第8号橋。橋のスタイルはこれまでと大きく変わらない。

 第9号橋。思ったより橋の現れるペースが速い。

 轍の真ん中に草が生えるようになってきた。交通量が少なくなっている1つのサインである。

 

 第10号橋。ついに大台の2桁に到達した!

 

 延々と続くダート路。その向こうに何があったのだろう?と思う方もいるかも知れない。

 このダート路の先、つまり道道の起点側には、かつて上茶路炭鉱という炭鉱が存在した。そもそもこのあたりは白糠炭田と呼ばれる産炭地であり、その最初の開発は1857年のことで、実は北海道の開発史とほぼ変わらない歴史を持っている。

 第2ボックス橋。ボックス橋ということは今までの1〜10号橋とは構造が違っているのだろうか。

 右側は地味に擁壁となっている。地理院地図で見ると左側も土手/擁壁で表されており、炭鉱へ抜けるただ1つの道路として立派に整備されていたのだろう。

 この先にも橋らしき構造物はあるが。名前を示す標識は特に無い。

 右側に擁壁が連なる区間。この先に林道との交点もあったことから、炭鉱の最盛期には多くの交通で賑わったのかもしれない。事実、道路用地はだいぶ広々としている。

 ここでr665唯一の分かれ道が存在する。右が道道、左は林道となり、届け出用のポストが設置されている。

 辺りはヒグマとの遭遇率が高い地帯。入山するなら覚悟と装備をもって万全の対策を。

 林道との分かれ道から先は更に荒れてくる。

 過去に土砂崩れでもあったかのような斜面。土嚢が置かれている辺りやっぱり管理はしている。

 2016年の台風災害でこの道道は2016年秋〜2017年夏まで通行止めとなった(冬期通行止を含む)。それでもこの道道が通行可能になっているのは、こうした管理の手が最小限でも入っているからなのである。

 道路はまたまた木々に覆われる。

 第11号橋。ボックス橋と交互に現れるあたり、恐らく構造(ボックス橋は函渠のこと?)で明確に区別されているのだろう。

 第11号橋と第12号橋の間にはr665の1kmポストが存在する。このレポートの前半でさっと触れたが、r665には実はきちんとキロポストが整備されている。

 キロポストをアップで撮影するもピントが背景にいってしまった・・・。

 第12号橋。今回の撮影で見かけた最後の橋となった。

 

 この辺りではシュウトナイ川が道道とほぼ同じレベルを流れている。野生動物も多く、走行中に鹿は現れなかったがキツネがいたりタヌキが崖から落ちてきたりという感じ。

 そんな超自然道道r665は平成に入っての話だが・・・。先述した上茶路炭鉱のことをもう少し書いておこう。

 上茶路炭鉱は1964年4月、同年に閉山した庶路炭鉱と入れ替わる形で操業開始した。この背後には戦略的な事情などがあったようだが、詳しくは後述のリンクに譲る。上茶路駅の開業は1964年10月のことで、その後1966年から営業採炭を開始するも、わずか4年後の1970年2月に上茶路炭鉱は閉山となる。閉山により上茶路地区にあった炭鉱住宅も姿を消し、白糠町の人口は急減することとなった。

 道道665号行き止まり

 シュウトナイ川に沿って進んできた道道だが、1kmポストを過ぎてもう少しで起点、というところで道路はブッツリ途切れる。

 写真向かって左側は川が流れており道が途切れている。右側にその先の道道にも見えるような路盤?がある。

 というわけで右側の様子を見てみる。路盤らしきラインに点線を重ねてみるが・・・、手前の雑草が群生している場所は路盤上に更に土が盛られたようになっており、その奥となると相応の装備がなければ入るのは困難だった。

 この地点は本来のr665起点ではなくそこから500m程度離れた場所である。起点そして炭鉱跡の本当の姿を拝めないことが悔やまれるが、道道として管理されているのがここまでなら現道主義の我々は撤退するまでである。

 r665のトレース、ここまで・・・。

最終更新:2018年10月26日