2015年6月の道北ドライブでは新千歳を出発し、天塩川河口の街天塩町を目指して北へ進む。途中、中川町のr541問寒別佐久停車場線をトレースしていきついたのが宗谷本線の無人駅、問寒別駅である。今回紹介する道道は問寒別駅と国道40号を結ぶこれまたお手軽な道道である。

Information
路線: 北海道道395号 問寒別停車場下国府線
起点:天塩郡幌延町字問寒別(JR宗谷本線 問寒別駅)
終点:天塩郡天塩町下コクネップ(R40交点)
延長:3,873m(実延長)
沿線:JR問寒別駅 他
走行:全線(起点→終点) 2015年6月20日撮影
Report 1/1
 直進:r395 問寒別駅
 右折:r395 国道40号

 r541問寒別佐久停車場線のトレースを終え、問寒別地区に入った我々は画面奥にある無人駅、問寒別駅へ向かう。

 JR問寒別駅

 この駅も他の宗谷本線無人駅と同様、貨車駅舎と呼ばれるタイプの駅舎からなる簡素な駅である。

 貨車駅への改築は1980年代後半以降に道内各所で行われ、ヨ3500形という車掌車を転用した現在の姿になった。なお問寒別駅は、撮影日の2015年6月から8月の間のどこかで駅舎の改装がなされ、原型を留めたまま綺麗に塗り直された(現在の様子はこちら)。  
 貨車駅舎の隣には、元の駅舎のものと思われる基礎跡が残る。

 問寒別駅は元々貨物側線や町営軌道も分岐する貨物取扱駅であったが、現在それらの設備は跡形もなく姿を消し、1面1線のみの簡素な棒線駅となった。なお、駅の様子については同行したあーさー氏が詳細に解説している。
 ホーム上の駅名票。稚内方の糠南駅は仮乗降場出身の駅で、板張りの簡素なホームからなり、哀愁漂う無人駅。
 駅の様子を一通り観察し、さぁ日が暮れるまでに目的地へ向かおうと車を動かしたところで、札幌行きの特急スーパー宗谷4号が通過した。

 スーパー宗谷4号は稚内16時49分発、札幌21時55分着と運行時間の長い特急列車。ちなみに、問寒別駅の上り最終は19時7分で、信じられない(?)ことに当日中に旭川まで接続可能である。一方、下り最終(18時45分)は幌延止まりである。

 道道395号起点

 r395の起点は問寒別駅前、おそらく舗装路が始まる地点である。r395は駅前を数十メートル直進した後、最初の画像で案内標識のあった交差点を左折する。

 余談だが、ひとつ上の画像を撮影したのはこの画像を撮影した後だったりする。車に乗ってエンジンを掛けると、特急が近づく音はなかなか聞こえない。
 駅前から直進後の交差点で左折。問寒別市街のメインストリートが数百メートル続く。モロ逆光である。

 問寒別は農協、Aコープ、交番、消防団、ガソリンスタンド、そして小中学校と最低限の機能が一通り揃っている。この規模の集落は天塩中川以来だ。
 問寒別小中学校の前にて道道は左折するが、逆光で標識が撮れない(ここまでの走行で窓ガラスに相当な昆虫がぶつかっており、尚更ひどくなった)。

 問寒別小中学校は幌延町にそれぞれ2校ある小学校と中学校の片方ずつを併置した学校で、2014年度現在小学校7名、中学校10名。児童生徒数は減少傾向にあり、そう遠くない未来、学校の存続が問題になる気がする。
 道道標識。路線名の横に黒矢印で道道の方向(次交差点で左折)を示してくれている。
 左折:r395 国道40号

 太陽の映り込みを避けるように撮影。小中学校の前とあって交差点には押しボタン式の信号機が設けられている。
 道路の逆方向を撮影。小中学校が現役だと、そこにアクセスする道路は歩道まで管理が行き届くように思われる。もし学校が廃校となれば、集落全体が活気を失い、街も寂れてしまうだろう。

 ちなみに、問寒別は小中学校に加えへき地保育所も存在する。この集落はまだまだ元気だ。
 先ほどの交差点を左折すると道道は集落を離れ、JR宗谷本線を踏切で渡る。

 これ以降、終点の国道40号交差点まで道道に直接面する人家は存在しない(2015現在)。
 注意
 これより3km先遮断機あり 異常気象時通行止となります
 現在 開通

 稚内建設管理部による標識。この先の道道も国道も一定の異常気象により通行止めになる「通行規制区間」ではないが、何らかの異常気象時に交通をシャットアウトするための遮断機が設置されている。
 平成橋にてアイカップ川を渡る。実は問寒別市街でも1回渡っている。

 この手前で分岐する道路へ右折すると市街地から離れた数少ない人家がある。
 アイカップ川を渡ると、周囲には牧草地が広がり、西側に延々と防風柵が続くという如何にもな風景が広がる。普段人影は無い・・・と思いきや、地域の方だろうか、ランニングをされている方がいた。
 天塩川に向かう途中で、道路は名称不明の河跡湖の上を通る。路盤は河跡湖を盛土のように埋め立てたもので、橋梁ではない。

 この旧河川を渡ると、天塩町に突入する。が、カントリーサインの類は道路上に設置されていない。何故だ!
 道路はゆるやかにカーブし・・・
 天塩川本流へ向かう。
 暫く走ると、随分と高い堤防を登る。その先に、天塩川本流に掛かる橋、新問寒大橋がある。「新」といいながら1974?年10月完成で、意外と古い。
 新問寒大橋にて、天塩川を渡る。

 周囲に何もなく、橋が狭いため長く見えるが、実際は結構短い。
 河川の真上はアーチがかかっているが、心なしか頼りない。
 まもなく橋を渡りきり、天塩川の反対側へ。

 どうでもいいことだが、この橋(新問寒大橋)は国土地理院のサービス「地理院地図」上において、新問寒橋と記載されている。
 天塩川を渡った後も特に何かがあるわけでもなく、道路は淡々と続く。
 新国根府橋にてコクネップ川を渡る。

 コクネップ川は天塩町/中川町の境界になっているが、この橋のあたりでは旧流路に沿って西側へずれているため、r395が中川町域を走ることはない。
 300m先

 左折:R40 名寄 音威子府
 右折:R40 稚内 豊富

 ここで300m先予告標識。国道40号と合流するのは中川町の佐久以来である。道道とあって標識は立派だ。
 3km手前で予告されていた遮断機が、画面やや奥に情報掲示板とともに設置されている。

 コクネップという地名がアイヌ語「コツネプ」(=窪地になっている処:留萌振興局による)を由来としていることから窺えるように、この辺一帯は周囲を丘陵に取り囲まれた低湿地帯であったと思われる。遮断機を設置するのは大雨による冠水などを想定しているのかもしれない。

 次の画像にてレポートは終わりとなる。お疲れ様でした。

 道道395号終点

 左折:R40 名寄 音威子府
 右折:R40 稚内 豊富

 R40との交点にてこの道道は終点となる。方面については全く書いてある通りであるが、天塩市街や幌延も右折となる。
 終点地名は、天塩町下国根府(あるいはカタカナでコクネップ)という地名だが、コクネップ側の対岸中川町では国府(コクフ)と極めて日本語的な地名になっている。そして、道道路線名に存在する「下国府」という地名は存在していない。
Impressions
 問寒別の集落には、安心感があった。
 その前に訪れた佐久の静けさや、その後訪れた雄信内の廃集落との対比があるからかもしれない。

 この2つの集落との差は学校の有無である。もはや人の気配すら無い雄信内は言わずもがな、佐久は既に集落の学校が廃校になっていた。本編でも触れたことだが、個人的には保育所も小中学校も現役というだけで、この集落はしばらくは活気があるだろうというように思えてくる。

 なお、この道道も集落を過ぎると沿線の人口密度が一気に下がり、人っけのない穏やかな牧草地・畑が広がる道北らしい風景となる。いざ運転すると問寒別に到達する前にそうした景色にはだいぶ飽きていたのだが、写真で見返すとやはり広々しているものである。
 というわけで、2015道北ドライブ時に取材した道道はまだまだあるので、他の路線も見ていただけると幸いである。

Links
 北海道道541号 問寒別佐久停車場線
 天塩川を挟んで国道40号と反対側を南北に結ぶ、中川町のメインストリート。


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最終更新日:15年10月15日