明治時代、東京の近代水道を支えた淀橋浄水場に水を供給するため建設されるも、その40年後地下導水管に役目を譲り、埋め立てられた玉川上水新水路。「水道道路」と言いながら今は水道施設と縁をもたない道路、角筈和泉町線。後半戦いきましょう。

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 東京都道431号角筈和泉町線 第1部 [終点(r413交点)→ 泉南交差点(r318交点)]
 第1部区間は杉並区内の狭隘区間をお届けする。無機質な名称の「遊び場」、1.7mという強烈な幅員制限、ディープな雰囲気の商店街、そして昭和の香り漂う密集住宅地。

 東京都道431号角筈和泉町線 第2部 [泉南交差点(r318交点)→ 起点(r副2,r副13交点)]
 第2部区間は延々と都営団地の脇を走り、浄水場跡地にあたる新宿副都心エリアの一角へ至る。
 周囲の土地区画や土地の起伏を無視した道路の通り方から水路の名残を感じる。

Report 1/2
 環七通り交点

 例の狭隘区間を抜けると、そこは東京の大幹線道路、環七通り。この方向からは左折しか出来ないので、一旦環七通りを左折し、途中で脇道を使ってUターンする。
 150m先
 左折:r431 西新宿

 更に100m先
 左折:R20/甲州街道 新宿
 直進:r318 大森 上馬
 右折:R20/甲州街道 高井戸

 この先r431、R20の順で主要道路との交差点があるが、環七通りは立体交差化されていない。なお、R20との交点=大原交差点は、都内一般道での交通量最大を誇る一大結節点である(ただしR20側は地下道で通過が可能)。
 泉南交差点

 ここで左折するとr431の続きとなる。

 1つ上の画像で案内標識の「上馬」はR246との交点を表す。都内の道路走行に慣れてない人間には若干聞き慣れない地名である。
 というわけで左折。

 余談だが、泉南交差点から西新宿までの区間は2015年1月撮影となる。順光がきつすぎて白飛び気味なのはしょうがない・・・
 見ての通り道路は左側の住宅地より一段高く、更に右側には細長い用地の「遊び場」が並行する。

 この遊び場は「遊び場80番」。
 遊び場80番が途切れた辺りで、車道の左端に自転車専用レーンが設置されている。

 このように塗り分けされた自転車専用レーンは都内の都道国道に幾つか設置されている。車道ではないため自動車は勿論原付も青いレーンを走ってはいけないし、レーン上での路駐など以ての外なのだが、
 残念ながらこういうことが後を絶たない。

 また、自転車専用レーンを途切れさせるようにバス停が設置されている場所もあり、とても機能しているようには思えない。
 環七以内の区間では都道の右側に都営団地が延々と並走するようになる。

 今までに何度か書いたが、この都道は玉川上水新水路の跡地を利用して建設されている。水路は開削水路で、その幅は実はr431の道幅の2倍以上ある。都道として利用されなかった分の用地は(おそらく)都有地であり、これまでの区間では「遊び場」として杉並区が利用していた部分が多かった。
 富士見丘高校前交差点。

 交差点の向こうも先ほどと同じデザインの建物=都営団地が延々と並走する。ちなみにこの都営団地は水路跡の用地を活用したものであるため用地が細長く、また、右サイドの奥側に別棟があるといった様子も見られない。要するに都道から見える分しかない。
 この画像の右側を見れば都営団地の薄さがわかるだろう。

 この団地(笹塚二丁目団地)、給水タンクが屋上に設置された古いタイプのもので、築年度は1967-74年とのこと。
 左折:r420/中野通り 中野
 直進:r431 新宿
 右折:r420/中野通り 国道20号

 r420中野通り交点の予告標識。r420鮫洲大山線は環七通りと山手通りの役割を補完する環状路として認定されているが、狭隘区間、現道のない区間、開かずの踏切などを抱える便の悪い路線で、近隣の移動以外には使いにくい。
 交差点の様子。右折してR20に抜けようとする車が結構多い。
 都営団地沿いの道路を引き続き走る。
 左側は水路用地ではなかったのでいいとして、右側の用地はたまに公園になっていたりする。ここは七号通り公園という公園で、かつての玉川上水新水路にかかっていた七号橋の名前だけが残されている。

 玉川上水新水路には水路をまたぐ16の橋と水路下をくぐる3つのトンネルがあったという。橋は言うまでもなく1つも残っていないが、トンネルは現在2つ残っている。
 またまた団地のある風景。
 画面奥に東京オペラシティ(高さ222m)が大きくそびえるようになってきた。

 この写真では右側の用地が公園になっているのがわかるが、実はこの公園の真下に先ほど言及したトンネル(形態は高架に近い)が存在する。付近の生活道路がこの道路をくぐっているようだ。
 新宿に向かって更に進む。
 r431は一直線なようで実は一直線ではない。1つめのトンネル跡から間もなく、若干左へカーブする。

 このカーブの真下あたりに2つ目のトンネルが存在する。
 道路が向きを変えると初台の東京オペラシティは近くの建物に隠れ、代わりに新宿パークタワー(235m)がちらちら見えるようになる。また、この辺りでは右側の用地も普通の私有のものと思われるビルが並んでいる。
 高層ビル群がだんだん近づいてくる。

 ここまでのr431を見てもわかることだが、道路沿線は低層ビルが並んでいる一方遠景には高層ビル群という構図をしている光景は少し奇妙にも感じる。個人的にはそこが面白いのだが。
 左折:r317/山手通り 東中野
 直進:r431 新宿
 右折:r317/山手通り 初台

 ここでr317環状六号線/山手通りとの交点が近づいてくる。
 山手通り交点。

 前方にかかる高架は首都高速中央環状線・西新宿JCTのランプで、本線は山手トンネルとしてこの地下を走る。
 山手通り交点を過ぎると高層ビル群もいよいよ画面に収まらない近さまで迫ってくる。r431は残りわずかだが、これ以降は土地区画に水路跡の姿も見いだせなくなってくる。
 しかし、新宿副都心が近づいてきても沿線の様子はあんまり変わらない。新宿副都心がまだ歴史の浅い「再開発地域」であることがこういうところからも窺える。

 西新宿側の新宿副都心は1965年までの淀橋浄水場の跡地である。淀橋浄水場は1898年通水、その後1937年までこの道路の元の姿である玉川上水新水路から注がれる水を水源としていた(1937年以降は甲州街道直下の導水路経由)。淀橋浄水場は安全な水を安定供給するインフラとして明治-戦後の長きにわたり東京の繁栄を支えてきた。
 左折:r副13 青梅街道
 直進:r副2 新宿駅
 右折:r副13 渋谷

 淀橋浄水場の廃止から50年を経た今、新宿は日本の経済活動を支える一大副都心として多くの機能を担うようになった。ちなみに、この浄水場の移転自体のきっかけになったのは1923年の関東大震災で、移転よりも40年以上前のことであった。所謂「下町」エリアに住んでいた住民が震災で家を失い、山の手の宅地開発が進んだことで西新宿の人口も増加し、地域のさらなる発展のため浄水場の移転が要望されるようになったという。

 都道431号起点

 r431起点/角筈区民ホール前交差点。目の前を横切る道路を「r副13」と表現しているが、この道路の正式名称は東京都道新宿副都心十三号線という。これらの都道に対する路線番号は存在しないが、道路案内標識上では六角形の中に「副13」あるいは単なる13号として表記されている(他の特例都道新宿副都心路線も同様)。

 この先が新宿副都心エリア、つまりかつての淀橋浄水場となり、水路の終点であった。というわけでレポートはここまで。お疲れ様でした。
Impressions
 r431は、特例都道の中でも他とは違った意味で古臭さが残されている路線のように感じた。
 それは、区が恐らく東京都から借りている「遊び場」であったり、高度成長期前後に建設された都営団地であったり、といった「玉川上水新水路跡地」の様子によるものだろう。戦前の埋め立てで元水道用地であったという背景を抱えるだけでここまで周囲と違う色を見せるのか、といった驚きもある。

 玉川上水新水路は江戸時代からの歴史を持つ玉川上水(旧水路)とは異なり、特に史跡として残される動きもなく、ある種時代の流れに埋もれていくであろう(そして物理的にも埋もれている)東京の過去のインフラであった。

 個人的には車で撮影した区間も徒歩で見てみたい路線である。

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 東京都道431号角筈和泉町線 第1部 [終点(r413交点)→ 泉南交差点(r318交点)]
 第1部区間は杉並区内の狭隘区間をお届けする。無機質な名称の「遊び場」、1.7mという強烈な幅員制限、ディープな雰囲気の商店街、そして昭和の香り漂う密集住宅地。


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最終更新日:15年12月25日