路線: | 北海道道1009号長沼南幌線 | |
起点: | 長沼町東2線北(r45交点) | |
終点: | 南幌町元町1丁目(r274交点) | |
延長: | 7,449m(実延長) | |
沿線: | 南幌町中心部 | |
走行: | 全線(起点→終点) 2015年6月20日撮影 |
250m先 交差点
左折:r1009 南幌
直進:r45 R234方面 栗山
r45恵庭栗山線を長沼町中心部から栗山に向かって北上するワンシーン。長沼以南のR337から見て延長線上にあるこの道路は札幌を迂回するルートの1つで、交通量が比較的多い。
r1009のルート。大部分において、元道道で方向転換を繰り返すR337を補完するようなルートを取っている。起点側は馬追丘陵と幌向原野の間あたりに位置しており、終点側は南幌町はR337を一度かすった後少し町外れで終点となる。
左折:r1009 南幌
直進:r45 R234方面 栗山
標柱に「縦型道道標識」がついた案内の良い標識セットだ。
特に名前も無い信号交差点がr1009起点となる。ここを左折してトレースを開始しよう。
r1009の起点標識がお出迎えするとともに、のどかな風景が広がる。大まかに北西に走っているr1009、ここから西に向かうにつれ、旧夕張川に下りていく。
北海道にしてはそこまで広大な景色ではないが、それでも関東圏よりはずっと広々としている。
広々とした農地が広がる。右側には用水路が道路に平行して走っており、防風林的な緑の帯が続くが、その向こうも見事なまでに農地が広がる。
長沼町は1887年に吉川鉄之助、渡辺伝二らにより開拓が始まり、1892年長沼村として開村。以来、水害・冷害といった苦難と闘いながら農業の町として発展してきた。
1KPを通過する。
「この先一時停止」
どうやら、次の交差点は道道が優先道路ではないらしい・・・。
西一線道路との交点。よく見ると、この交差点では全ての車両が一旦停止する必要がある。田園型交通事故(いわゆる出会い頭)を防ぐための対策だろうか。
ここから南幌まで一時停止or信号のある交差点は無い。西一線道路が特別扱いされている様子は地図からは伺えないので、やはりこの交差点は事故が多かったり、重大事故があったのかもしれない。
広大な水田を脇に走る。この地域は主な作付品目は米・小麦と大豆だが、最近は野菜も増えている印象である。
2キロポストを通過する。
他の空知管内の道道レポートも見るとわかるように、沼田町~深川、滝川、岩見沢、そしてここ長沼、千歳のあたりまで続く石狩平野は現在、日本有数の生産量を誇る広大な稲作地帯である。しかし、かつて湿地が広がっていた氾濫原をこのような耕作地にするまでには想像もつかないほどの苦労があった。
まっすぐな道路の先に日差しのある地帯が見えてきた。撮影している時はやっぱり天気がいいほうがうれしい。
石狩平野(このあたりは馬追原野とも)は広大な泥炭分布地域である。泥炭とは、簡単にいえば「未分解の」ヨシ科植物やコケの遺骸が堆積した軟弱で、その上強い酸性、水はけが悪いなどとんでもない土壌であり、とても稲作の出来るような土地ではなかった。
このあたりは舗装が新しい。
泥炭はその有機物含量の多さから、乾燥した状態燃える(かつては燃料に用いたほど)。開拓初期においては竈の火が畑に燃え移ることへの驚きと不安を抱えていたという。先人たちはそうした泥炭地に対し明渠や暗渠による排水、客土(外から持ってきた土を上に重ねる)といった対策をとり、実り豊かな農地を作り上げてきたのであった。
対向車に大型車も多い。南幌で南西向きに折れ曲がるR337を曲がらずに直進するとr1009に入るため、この道は長沼・R274方面への抜け道にもなるのである。
石狩平野開拓の困難は泥炭という特殊土壌の他にもう1つある。それが、洪水である。自然のままに曲がりくねった石狩川とその支流は雪解け時や大雨の度に氾濫を繰り返した。特に明治31(1899)年に起こった大規模水害では農地、人家へ甚大な影響を及ぼした。
8号橋にて旧夕張川を渡る。
旧夕張川は1936年、現夕張川を直線化した際に取り残された川である。前述の大規模水害をきっかけに進められた「石狩川第一期治水工事事業」により、夕張川は南幌/栗山/長沼町境界(栗丘のあたり)から江別太に向かうよう直線化された。
この地図で旧夕張川-千歳川(青)と現夕張川(緑)の流路を示す。
かつての夕張川は現夕張川より10km以上南の地点で千歳川と合流し、北(江別方面)へと向きを変えていた。こうした大規模な流路変更を各地で行うことで石狩川本流も100km以上短くなったというからすごい。
カントリーサインが見切れたが、旧夕張川を渡ったところで南幌町に入る。
周辺の丘陵をバックに直線化された夕張川が流れ、その河畔にポプラ並木。田園的な目にやさしいカントリーサインだ。
川を渡った後ゆるくカーブする。
旧夕張川を過ぎると、今までと同様の田園風景が広がる。
南幌町は開村当時幌向村と言ったが、幌向という地名は少し北にいった岩見沢市内にもありややこしいという理由で町制施行に伴い南幌(みなみほろ)に改名(それよりも前に南幌向という駅が開業していたことから。駅名に合わせたような印象を受ける)。その後、「なんぽろ」と読みを変え現在に至る。
長沼町内と同じように真っ直ぐ走る。
5キロポスト。奥に南幌町の街並みが見えてきた。この隣町の近さは北海道といえどやはり道央である。
市街地を前に道路が少し立派になる。
市街地の少し手前で何やら街路樹と歩道が(片側だけ)整備された市街路となる。
南幌町は札幌市のベッドタウンとして発展しており、一度は人口減少に陥ったが2022年以降再び人口増加に転じている。撮影当時は左側は住宅地として未開発であったが、2023年時点のGoogleストリートビューでは左右両側とも住宅地として利用され、ポツポツと住宅が並んでいる。
350m先交差点
左折:R337 北広島
直進:R337 R12方面 江別
右折:r1009 栗山
南幌町の人口増加は体験移住・オンライン移住相談・子育て世代住宅建築費助成金などといった制度による移住促進策によってもたらされた。鉄道こそ無いが札幌から容易に日帰りアクセスできる立地と、住宅地の価格の安さをウリに、若い世代の移住を積極的に受け入れている。
左折:R337 北広島
直進:R337 R12方面 江別
右折:r1009 栗山
ここでR337と交わり、r1009は終点・・・となってもおかしくないが、なぜかr1009は右に向きを変える。ちなみに、南幌町中心部は直進でる。
R337交点の様子。ここで右折してR337を真面目に通る車が多いが、直進してr1009に入ってくる車も多い。
R337長沼道路が延伸すると長沼市街北側、r1009の起点付近にインターチェンジができる。南幌側も建設は進んでいるが、長沼側が延伸すると全通するまではr1009が主な代替路として利用されるのではないかと思う。大型車がビュンビュン通るにはこの道少し手狭なんですよね。
右に曲がると、密度の低い市街地や郊外によくある「マリーゴールドが延々と植えてある花壇」と路側の広い50制限道路となる。この延々と続く花壇すごいですよね。
この先の交差点でr1009は左へ曲がる・・・が、それを示す表記はない。
交差点に案内標識は無いが、直進するとr1080栗山北広島線というロング路線の単独区間となる。右折すると旧夕張鉄道の廃線跡を利用した広域農道「きらら街道」に出る。ちなみに、夕張鉄道の線路跡は先のマリーゴールド地帯のあたりで道道と斜めに交差したはずだが、R337の東側は旧来の南幌市街より宅地造成が新しいおかげで、痕跡はわからない。
ここでr1009は左へ曲がる。この道路は先ほど言及した南幌町の宅地の外郭にあたるため、左手に住宅地、右手に広大な農地という住み分けがきっちりなされている。
この一際大きい交差点も開拓時代からの「碁盤の目」である。南幌市街ではあまり主要な道路に対して細い市街路が交差してくるような場所がない。
住宅地から出てくる道路が交差する。
住宅地のへりと言えどもこの交通量と見通しなので、つい飛ばしたくなるが、50キロ制限だ。
左折:r274 札幌 江別 R337方面
右折:r274 R234方面 栗沢
ここで道道であることを思い出したかのように手厚い案内標識が現れる。
r274栗沢南幌線との交点。なんてことのないT字路だが、ありがたいことにr1009の終点標識が設置されている。
しかしR337交点からr274交点までの1.6kmほどの区間がなぜ道道に指定されているのか、現地を走ってもインターネットを探索しても手がかりが無かった。謎が残る…。
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北海道道1009号 長沼南幌線 |
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