撮影日:2019年4月13日,14日
1日目:中央自動車道諏訪湖SA→富士吉田線河口湖IC(かっしー氏撮影)
2日目:中央道双葉SA→高井戸IC→首都高4号永福PA(自撮影)
相互リンク先「道の旅に出かけよう!」管理人のかっしー氏との撮影ドライブ。
区間15においては双葉SA下り施設と本線の一部で4月14日撮影の写真を掲載している。
撮影日:2019年4月13日,14日
1日目:中央自動車道諏訪湖SA→富士吉田線河口湖IC(かっしー氏撮影)
2日目:中央道双葉SA→高井戸IC→首都高4号永福PA(自撮影)
相互リンク先「道の旅に出かけよう!」管理人のかっしー氏との撮影ドライブ。
区間15においては双葉SA下り施設と本線の一部で4月14日撮影の写真を掲載している。
東京高井戸 90km
90キロポスト。まだまだ頑張ろう。
勝沼ICを過ぎると甲府盆地を抜け、御坂山地と大菩薩嶺山系の間である笹子峠へ向かう山岳区間となる。
[ 10 ] | 大月 | 19km |
[ 9 ] | 上野原 | 39km |
東京 | 106km |
距離標識。ここから上野原まではICが約20km間隔となる。[11]大月JCT.は大月IC併設だがここには書かれていない。
登坂車線 150m先
所要時間表示。相模湖まで40分。八王子まで55分、高井戸まで80分。いずれも緑色表示で渋滞の心配はない。
ここで再度甲州市のカントリーサインが現れる。
旧大和村の境がここだったため標識が残されているようだ。デザインは村内にある景徳院の山門で、ここには武田信玄の子である武田勝頼の墓が存在する。
登坂車線はまだまだ続く。サビサビの標柱にR=500mという急カーブを示す標識、この辺りはまだ昔の高速道路らしさが残っている。
この辺りでは上下線が離れており、下り線のみ日影トンネルというトンネルが設置されている。
日川 橋長630m
川を2回またぐ構造になっており橋が長い。
日川を渡り切るとトンネル用信号が現れ、速度規制が70km/hに強化される。そう、中央道第二の長さを誇る笹子トンネルのトンネル信号である。
甲斐大和バスストップがトンネル手前に立地する。登坂車線の左側にありずいぶん離れた印象。
JR中央本線甲斐大和駅からは直線距離で500m程度だが山を登るため大幅に迂回する必要があり、徒歩では約30分程度かかるという。
トンネル手前で再度トンネル用信号。登坂車線は坑口ギリギリで終りとなる。
笹子トンネル 長さ4784m
中央道で2番めに長いトンネル、笹子トンネルに入る。入口の構造は四角くてずいぶんかっこいい。
トンネル内部はやや暗めだが照明は十分確保されている。
これと言った標識類はトンネル内には存在しないが、壁面にはキロポストらしき数字が書かれている。
中には最近流行りのアクセント照明が設置されている。このあんまり目立たないタイプね・・・。
この照明でわかるようにトンネル内部はずいぶんと天井が高い印象を受ける。笹子トンネルは換気のためコンクリート製の天井板で坑道が上下に二分された構造をしていた(ので、本線からは四角く見えた)が、2012年に発生した天井板落下事故において上り線82.6KP付近で天井板270枚が落下、3台の車が巻き込まれ9名が死亡した。これを受けて笹子トンネルの天井板は全て取り外され、各地の同型のトンネルで緊急点検が行われた。
トンネル内には一瞬だけ明かり区間がある。
トンネルを抜けるとまず現れるのは下り坂に対する注意喚起。ここから大月までほぼ下り坂。
次に大月市のカントリーサインが現れる。これも色あせていて絵柄がわかりにくい。デザインのモチーフは奇橋で名高い猿橋。
この辺りでは上下線に高低差があり、下り線がほぼ視界に入らない。前方には初狩方面に続く峡谷が続き思いの外眺望がよい。
笹子バスストップを通過する。
甲斐大和ほど理不尽な遠回りをする必要はないが、単純に駅から遠く、最寄り駅の中央本線笹子駅から歩くと道のりは2kmを超える。
下り坂8km 速度落せ
この辺りでは5%程度の下り坂となる。
R=450mの急カーブ。笹子峠も気が抜けない・・・。
初狩PA 3km
談合坂SA 19km
次の休憩施設、初狩までは3km。これを逃すと次は大月JCTを過ぎた先の談合坂SAとなる。
最近は影を潜めつつあるハイウェイラジオの標識と、広域情報を伝える掲示板。
最近は路線名表示(「広域情報」部分)もデジタル式になっていて状況に応じて変えられるようになっている。撮影当時は圏央道の工事規制予告が書かれていた。
初狩PA 1km
次のPAである初狩が近づく。チェーン脱着場も兼ねているようだ。
初狩PA
この標識、PAなのに内照式だしいい感じに色褪せしてるし、、、いいぞ!
初狩PA入口。1日目の撮影ではスルーした。
売店とスナックコーナーがある普通のPA。駐車場規模は大型10小型22とコンパクト。
上り線はチェーンベースを兼ねている分大型のスペースが台数より広めに取られている。航空写真で見ても下り線より明らかに広いことが見て取れる。
この先2km 大月JCT.
初狩PAを過ぎると大月JCTはすぐそこ。富士吉田線と大月IC出口はともに一旦左に分岐し、そこから再度選択する構造となっている。
下り坂3km 速度落せ
5%の下り勾配。前車が路面の向こうに見えなくなってる辺り急坂なことがわかりますね。
[ 11 ] 大月JCT. 1.3km
左へ:河口湖 山中湖 大月出口
本線:上野原 東京
ヒラギノ化されているがナンバリング未対応。管理会社は変わるが道東道本別のように同じ路線名でもナンバリングを変えて案内している標識は既に存在する。こちらも地名だけの表記から路線名を含めた通常のJCT表記に直してもいいのではないかと思う。
大月JCT分岐まで1km。2km手前標識と何ら変わりない。
また、左側には真木バスストップがある。県道直下にあり一般道側の利便性は悪くないが鉄道駅からは遠く利用状況は限られる。
大月JCT. 700m
左へ:河口湖 山中湖 大月出口
本線:上野原 東京
300m間隔でJCT標識が登場する。最初のもそうですがその割には標識サイズ小さくて、ちょっと変則的ですよね。
カーブと法面で見通しが効かないなかでの分岐。大変なところにジャンクション作ったもんだ・・・。
(20) 大月 [ 10 ] 出口
大月ICの出口標識が現れる・・・のだが、河口湖方面へのランプもろともカーブの先で左側から分岐する。
大月ICはもともと大月JCT.とは別の構造で、本線から別々に分岐が存在したが2003年に河口湖方面へのランプを通じて出口となるよう構造が変更された。番号がジャンクションと異なっているのもその名残で、料金計算上のキロポストも大月JCTは71.4KP、大月ICは70.4KPと別物である。
情報表示。どちらも営業路線名は中央道なので「東京方面」と「河口湖方面」の2つ。
大月JCT.300m
再び図形表示。先程の構造変更を踏まえると古い標識に見えて意外と新しいのかも。
大月JCTの歴史は1969年3月の相模湖-河口湖の開通に遡る。当時の大月JCTは現在の下り車線→河口湖方面ランプを使用した暫定2車線カーブのみであり、1977年に大月JCT-勝沼ICが開通したことにより初めてジャンクションの形を取った。その後1982年に河口湖方面と名古屋方面の行き来が可能になり、1984年に河口湖までが4車線化された。
[ 11 ]大月JCT.
左へ:河口湖 山中湖 大月出口
本線:上野原 東京
左側の表記は矢印ギリギリまで文字が詰まっているけどまさかのヒラギノ化された更新後。ここもカーブしながらの分岐なのでルート選択はお早めに。
かつては大月JCTの直後に大月ICが立地していたため、大月ICを出る車両と大月JCTから上野原以遠に向かう車両が輻輳する織り込み区間が存在していた。2003年までに行われた改良は本線の線形改良を含むが、この構造をなくすためにJCTとICを集約したことに意味がある。
左側にはしれっと大月ICの出口標識。もうちょっと目立ってもいいと思う。
上り方面からは出口と河口湖方面合わせて1車線という小さな分岐だが、下り線の大月JCTはジャンクションの4km手前で分岐する上、片側2車線のガチなランプが本線と延々並走する。かつては河口湖方面しか開通していなかったのでそれも納得なのだが、変則的な構造ゆえなんかすごい。
大月JCT分岐。普通に出口で使われるようなタイプの内照式標識にたくさん書かれている。
大月IC出口。2003年の構造変更により大月JCTの河口湖方面ランプに組み込まれる形となった。
大月ICはR20に直結。市内と都留IC以北の都留市内(リニア見学センターなど)に加え、広域的にはR139経由小菅・丹波山・奥多摩方面へのアクセスも良好だ。